心と身体、生き方の総合気療 東京都荒川区の気功治療院です。
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| mail: info@ichigiryu.com 更新日 h24.4.28 履歴... | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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・日本の気功家たち
病気/症状 所見
不定愁訴 疲労感/慢性疲労 眼精疲労 癌(ガン) 自律神経失調症 右半身/左半身に偏る症状 女性更年期障害 男性更年期障害 生活習慣病 肝臓病 膀胱炎 頻尿 発熱 嘔吐/吐き気 風邪、インフルエンザ 不眠症 味覚障害 アトピー性皮膚炎 花粉症 皮膚病 白斑 冷え性 女性不妊症 生理痛 子宮内膜症 子宮筋腫 高血圧 低血圧 低体温 下痢 ワキガ 膠原病、自己免疫性疾患 パーキンソン病 腰痛 顔の歪み 足首捻挫 肩こり 四十肩/五十肩 骨盤矯正 O脚 足の長さの違い 痩身/ダイエット スポーツ障害 テニス肘 鬱病 鬱病の後、本調子に戻らない 躁うつ病 パニック障害、パニック発作 不安感 対人恐怖症 無気力 現実感の喪失
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心の健康
・悲しみ
そう言われても、今ひとつピンと来ないなと感じられている方も多いと思います。では過去に自分が悲しいと感じた事を思い出してみてください。その殆どは、悲しいと感じ続けているうちに、いつの間にか平気になっていますよね。これを考えると、悲しみ自体がダメージではないと何となく理解できると思います。悲しいと感じる事自体が、心を自律的に癒す手段となっているんです。 最後にポイントをまとめると、
@悲しみは心のダメージそのものではなく、心の治癒反応である。 ・ 悲しみ2
悲しみが心を癒すとは言うものの、悲しみが悲しみを呼ぶように、落ち込みが激しくなっていく事はよくあります。自律治癒どころか、余計に酷くなるじゃないか。だったら悲しまないように、何かで気を紛らわせた方が良いのではないか? このように考える方もいらっしゃるかもしれません。 悲しみは心のダメージの表面化でもあります。ダメージを癒すためには、潜在的なそれを自分が認知できるレベルまで引き上げる必要があります。そしてそれを悲しむ事で浄化させるのです。この引き出す過程で、人間は自分がどれだけダメージを負っていたかに直面しなければなりません。これが悲しみが悲しみを呼んでいる状態です。悲しみは治癒反応でありながら、主観的には苦痛を伴います。病気における症状と同様です。
こうして考えた時に、悲しむという行為は、正に自分自身を見つめる事と表現できます。楽しんでいたり喜んでいる時にはない、増してや怒っている時には起こり得ない、悲しみ独自の側面です。
解り易い例として失恋を挙げましたが、細かい小さなものを含めると、私達は実に多くの悲しむ機会に恵まれています。仕事で失敗した時、誰かを怒らせてしまった時など。その都度、私達はしゅんとし、内省をするのです。この内省は意識して行うものではなく、半ば悲しみとセットになっている自動的なものです。勿論意識をすれば、更にこの内省を深められます。そこで思い上がりはなかったか、自己中心的すぎではなかったか、忙し過ぎてストレスが溜まっていたのではないか、など多くの気づきを得ます。その度に小さく、あるいは大きく軌道修正が行われ、人間は成長していきます。 まとめると、
@悲しみは自動的に内省を促す。 となります。 ・ 怒り 防衛以外にも、人間は怒るのではないかと私は考えます。それは爆発的なエネルギーが必要となる場面です。例えば子供が危ない場所に近づいた時に、親は血相を変えて怒り、子供を叱る場面があります。これは子供に危険であると強烈に印象づけるため、それだけの多量なエネルギーが必要であるという事です。また自分の不甲斐なさに怒った事は、皆さん何度か経験されていると思います。無気力で堕落した生活を送っている時に、「何をやってるんだ、自分は!」と何かを切っ掛けに急に奮い立つ。そのような状況を変えるためには、ロケットが発射する時のような爆発的なエネルギーが必要となるのです。 まとめると、
@怒りは自己防衛のための反応である。 となります。 ・ 喜び、楽しみ
ところが快楽主義は常に、あるべき姿から歪む危険性に晒されています。苦痛から逃れる手段としてある快楽は、その度合いが高い。ギャンブル依存症やアルコール依存症などは、その解り易い典型です。ギャンブルやアルコールは人間に高揚感をもたらします。ですがそれは、人間の実生活に沿わない、虚構の世界での高揚です。
ギャンブルでは、勝つ・負けるという結果は究極的にはどうでも良い事で、リスクをとって勝負をしている事実そのものが重要となります。その高揚感が、実生活上の苦痛から目を逸らせたり、普段の暮らしでは得られない刺激となります。アルコールは抑圧された感情を解放します。笑う人、怒る人、泣く人、それぞれが普段抑圧されている感情を放出させています。
実生活上で、健全に喜びや楽しみが見出せれば、そのような中毒に陥ってしまう事は起こりません。では喜びや楽しみは、どうすれば見出せるのでしょうか? 私はその秘訣は、生活の中でメリハリをつける事だと思います。人間の心は、常にギャップの大きさに反応します。お腹が空いている時の食事は幸せそのものですが、そうでもない時には、やはり幸福感も乏しいものです。普段は仕事で忙しい人が、温泉旅行でゆったりとすれば何とも言えない充足感でしょう。しかしいつも暇な人が同じようにゆったりしても、そのまま「退屈だなあ」という感想になるかもしれません。
またストレスが多い生活をしていると、その防衛反応で感受性自体を弱めてしまいます。まともにストレスを受け止めていては、心身がもたないからです。何か精神に強い衝撃を受けても、同様の現象が起こります。喜んだり楽しんだりする感受性も一緒に弱められるので、何をしてても楽しくないといった状態に陥ります。通常でしたら、今はその感受性を解放しても良いんだという場面で切り替えが行われますが、ストレスがかかり過ぎると切り替えも困難になってしまいます。結果として、生活上で精神的なギャップも平坦なものになります。 道に咲く花や青空を美しいと感動する。食事に美味しいと感激し、命や作り手への感謝が自然と芽生える。何と言う事はない些細なギャップを感じ取って喜びや楽しみと出来る精神状態が、本来あるべき姿ではないでしょうか。そのような豊かに反応する心を持っていれば、強い刺激を求める必要もないのです。 まとめると、
@喜びや楽しみは心のOKサイン。
A何かの依存症による快楽は、虚構の刺激。 となります。 ・ 恐怖
このようにして、人間には様々な禁止事項や恐怖の対象が形成されます。その形成が子供時代のものであれば、位置付けや感じ方の修正はより困難になります。また子供時代の衝撃は、その人の精神的な成長を歪ませてしまう危険性を孕んでいます。 潜在意識レベルでの問題は、多くの場合、無意識下で意味付けの更新が行われます。普通に暮らしていれば、普通に色々な体験をします。それが自動的に追体験となり、印象は常に更新され続けます。ところが衝撃が強いそれは無意識的な更新が追いつかず、鬱や神経症などの心の問題に発展します。 ・ 全体のバランス
何かショックを受ける出来事があって、例えばすぐに「良い勉強になった。これを教訓に前に進もう」と方向づける人がいたとします。よく見受けられる行動です。しかしこれは悲しみや怒りの段階を意識的に省略して前向きになっているので、歪が出ます。潜在意識ではその衝撃はまだ消化されておらず、前を向ける段階ではないのです。
人間にはそれぞれ、ここまでは大丈夫という衝撃に対する限界があります。上手く消化していかないと、その限界までに余裕がない状態となり、今度は衝撃をまともに受けないような防衛が必要となってきます。結果として怒りっぽくなったり、自分の都合の良い意味づけでしか、物事を呑み込めなくなります。それは現実を現実として受け取らず、虚構の世界で生きていくようなものです。
怒りたくても、怒れない人がいます。立場上の問題もあるかもしれないし、他人に対する評価を気にするせいかもしれません。社会人として、好き放題怒るのも考え物です。しかしその時に心は怒りを必要しているのは間違いありません。怒りは心を守る防波堤の役割をします。怒りを解放させる場面がないと、やがてはそれが大爆発してしまうケースもよくあります。普段大人しい人が、キレて大暴れしたりしますが、これは正に限界間近まで追い詰められて、一気にそれを跳ね付けようとした結果でしょう。
感情のコントロールという話では、実は喜怒哀楽全てにおいて、当然ある程度それが可能です。責任ある立場になれば、感情の赴くままというわけにはいきません。上手にコントロールをして、自分の精神を健全に保つ意識が必要になってきます。ですから意識をして、喜んだり楽しんだりして良い時にはそれを満喫し、悲しんだり怒ったりして良い時にはそれを解放します。
また人間は、怒りや悲しみであっても、それを快感とする部分があります。実生活上の悲しい出来事は、多くの場合、実害があるのでそれを感じ取れる余裕がありません。快感は存在していますが、それを認知できないのです。悲しいのは嫌なはずなのに、わざわざ悲しい泣ける映画やドラマを観るのは何故でしょうか。それは悲しみ自体に快感が伴うからです。
実はそのような、実生活には直接関係のない悲しみや怒りによって、人間は救われてバランスを取っている側面があります。悲しい映画を観て涙しながら、人間は自分が負っている心の傷を同時に癒しているのです。潜在意識がその悲しいポイントを、象徴的に受け取る結果です。象徴的に連想関係にある時、擬似的な悲しみであっても、心の傷は癒されます。また悲しんだり怒ったりする行為自体が、心のダイナミズムを生み出します。心を活発化させる意味でも、人間は悲しみや怒りに揺り動かされる事を求めるのです。
心は健全であろうとするために、ダイナミズムの維持が重要です。感情を豊かに表現させる事そのものが、健全な精神状態に繋がります。自分はこういう人間でありたいと、理想の自分像を持つのは良い事です。しかしそれが「〜でなくてはいけない」という強迫観念になった時には、歪んでいくものです。 最後にまとめると、心が健全な状態とは、一見不健全だと思われる心理や感情を認め、心が上手に循環していく事によって得られるものであると言えます。
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